実家の解体、そして売却 実家が無くなりました
前回の家の片付けから一月も経ってませんが、家の解体は始まっていました
飛行機から降りて通りかかった実家
表側はまるで今まで通りに見えましたが
横に回るともう半分くらいの解体が終わっていました
無惨な姿です
まだお風呂は残っています
兄の部屋だった所
玄関
そして数日間、実家の最後の姿を見届けて、又又一月後に来てみたら、
もうすっかり跡形もなく、私の家族が過ごした場所は無くなっていました
実は解体が終わる前に、この土地は売れました
もう、この場所に来る事もほとんど無くなる事でしょう
墓仕舞いも考えていましたが、それは辞めました
心が揺れて決めれませんでした
父と母と兄の居場所を残したくて
長い長い介護と家仕舞いでした
寂しくて仕方ないですが、やり遂げました
やり遂げた自分を褒めてあげましょうか
さよなら、私の生まれ育った家
今までありがとう
良い家でした
実家の片付けがついに終わり、家の解体
前回のブログで家の売却を決め、実はすぐに買い手が着いたものの、ハンコを押した所でドタキャンされました。
家の整地代が思ったより高くかかる事がわかったためでした。
どちらにしろ、今の家のある状態では売れそうもなく、自分で解体、整地までやる事に決めました。
今ある家の状態を忘れないためにここに残します。
玄関。ものすごく広い玄関でした。
入ってすぐのリビング。
大きなソファがあったのですが、貰われていきました。
ここもかなりの広さのキッチン。
キッチンセットも貰われていきました。
洗面所。横にあった洗濯機と乾燥機も貰われていました。
お風呂
兄の部屋
ベット用の机とか、カセットデッキとかも無くなってました。
みんな父がお世話になっていた施設に貰われていきました。
裏座敷に抜ける広縁
日当たりが良くて気持ちいいところでした。
ここのカーテンなども、家政婦さんがもらっていってくれました
とてもとても立派なお仏壇でしたが、魂抜きをお願いして、中のご本尊様や仏具は、古美術商さん、古いお経はお寺さんにもらわれていきました
掛け軸など一才無くなっています
母が気に入ってた奥の座敷
最後まで私が書類や写真の整理をしてましたが、みんな東京に送りました
横の裏玄関に通じる縁側
裏玄関横の納戸
ほぼ空っぽです
父はここからよく庭を眺めていました
荒れ果てた庭
母が使っていた裁縫箱
古い指貫を2個もらいました
裏座敷のキッチン。全く使用してなかった。
そこにあった立派な食器棚
新しいものでしたが、大きすぎて誰もひきとりてなしでした
外から見た実家
裏側
裏玄関に至る木戸
表玄関入り口
まだ父の名前が出てますが、もう、相当薄くなっています
この後すぐにゴミとして、残った家具や雑貨は搬出されます。
見積もりは2社でとって、1社は40万プラスα
もう1社は半額の20万円で。
解体をそのまま頼むので、儲けは無しだそうです。
かなり大きな家ですが、解体費用は300万。
ただ、この後の整地造成がどれだけかかるのかは未定です。
ひと月もかからずに解体は終わるみたいです。
測量に立ち会わないと行けないので、もう一度解体途中にはなりますが、この家の最後の姿を見届けに行こうかと思ってます。
この帰省から帰って3日ほど寝込みました。
疲れがどっと出た感じです。
最後に一言、実家がなくなるのは本当に本当に淋しい
お父さんお母さんごめんなさい
実家の売却を決めました
売却が決まったというのではなく、不動産屋さんに売却を申込んだというお話しです。
父と母が大切にしていた家。
母が、最後の最後まで帰りたい帰りたいと言い続けた家。
去年父が亡くなり、帰る人もいなくなりました。
人が住まなくなって5年。
台所の水栓は壊れ、お風呂のお湯はでなくなり、冷蔵庫も冷えなくなり、2つあるトイレの1つは水が流れなくなり、3つある洗面所も1つは水が出なくなり、固定資産税以外にも、毎月の電気代が、誰も住んでいないのに14000 円もかかり、水道代も4000円以上です。
週に一度来てもらっている家政婦さん代も段々と負担になってきてしまい、ついに家の売却を決めました。
コロナで長く空けてしまいましたが、その間にも家の片付けは着実に続けてました。
母が亡くなったことで、家の片付けは一気に進みました。
物で埋め尽くされていたリビングやダイニングもかなりスッキリしました。
母や父の衣類の処分を始めました。
広い玄関に処分するものを貯めていきます。
どんどん運んできます。
前列に一列ふえました。
最終的にはここにはこれくらい
別の部屋にも集めました。
服以外の物もどんどん集めていきます。
玄関の下駄箱の中も集めていきます
最終的にはこの部屋にはこのくらい。
すごい量でした。
この時は後は家政婦さんに仕分けとゴミ出しをお願いして東京に帰りました。
次に来て片付けをしたのは父も亡くなり、母の3回忌と兄の7回忌の法要をした後です
今まで手を付けれなかった着物や古道具を業者さんを呼んで処分する事にしました。
とにかく山のようにある古い着物を全部箪笥から出して並べてみました。
その一方で不用品な処分品を別の部屋に集めていきます
すごい量です。
業者さんはバイセルに頼みました。
大変丁寧に、全ての着物を見てくれて、買い取れない理由とかも教わりました。
襟の裏側が、少しでもきばんでいたり、変色してたら、たとえ未着用でも買取はできないそうです。
何着あったかわからないほどの着物がありましたが、買取出来たのは15着ほど。
その写真を載せていきます。
これは大島紬かな
これは保証書もついた紬
新品
これは夏の絽のきもの
新品
以上です。高い物でも、一枚500円ほどでした。
ほとんどが300円ほど
勿体無いですね。あまりにひどいので2枚抜かしてもらいました。着ないとは思いますが、勿体なさすぎて。
本当にびっくりしました。着物の価値って。
同様進行で古道具屋さんも来てもらいました。
祖父の軍服など、悩みましたが、東京には持って帰れないし、欲しい方に貰ってもらう方がいいと思い、託しました。
全部で15箱ぐらいの品物。
家の隅々まで見てもらって買い取ってもらいました。
母が高いお金で買って大切にしていた物たち。
ご先祖様の遺品などなど、本当に心が傷みましたが、どうしようもない物たちです。
大きなバンいっぱいに積んで帰られました。
ざっくりとでしたが、15万円ほどの買取額でした。
掛け軸やら色んな装飾、みんな剥がされました
納戸の中も、長い時間潜って、何やらたくさんの掛け軸をもっていかれました
リビングの飾り棚の中からも何やら見つけ出して
押し入れの中もがらんとしました
引き取ってもらえなかった着物の山
この中からさらに何枚かは貰われていきましたが、ほとんどはゴミとなりました
そして、残ったものはもう、ゴミなんだと諦めがついて、一気に捨てていきます
ついに、この巨大な食器棚の中が、ほぼ空になりました
着物を捨てた事で、草履や下駄も処分
思い切ってどんどん捨てました。
中々手つかずだった物も、勢いでどんどん
写真や書類の処分は時間のかかる作業
一枚一枚確認してシュレッダーにかけていきました。無茶苦茶大変な作業です
この時はここまで
だいぶ進んだ感じがしましたが、まだまだです
ただ、次回もう一回古道具屋さんを呼んで、古道具屋さんによって買い取ってもらえるものが随分と違うことがわかりました
多分買取額も
少し早まったのかもしれません
どんどん捨てたことも
父の一周忌の後の片付けです
今回家を売却する事を決めてたので、全ての物を処分すると決めてました
前回引き取ってもらえなかった水屋ダンスが、あまりにも勿体無いので探した別の業者さんにきてもらったら、前の業者さんが引き取ってくれなかったものをたくさん買い取って貰えました
以下は買い取ったり、引き取ったりして貰えた物
この玄関にひいてあるペルシャ絨毯、何と、もとは70万くらいする物ですよ、といわれまして、5万なら買い取りますよ、と言われました。
前の業者さんには、すごくいい物だから、持って帰られた方が良いですよ、とは言われてましたが、買い取ってはもらえなかったのでびっくりしました
母と父が十分楽しんだと思い、買取りお願いしました
この業者さんに頼んだきっかけの水屋箪笥、ちゃんと買い取って貰えました
この小さなひらきの家具も
他にもたくさんたくさん、発掘して買い取って貰えました
しかも、処分に困る、こういう絨毯も
この茶箪笥も
こういう小さな敷物も
ここまでが買取品です。
全部で16万ほどでした
元の値段から言えばわずかなお金でしょうが、捨てる事を思えば、本当に助かりました
ただ、今回、中古家具の買取屋さんも頼んでいたのですが、完全に何の連絡もなく、すっぽかされました。
中古家具の買取は、次回頼みます。中古ピアノの買取も頼んでみます。
今回出てきた兄の
レコードは中古レコードやさんにもってきましたが、30枚ほどあっても300円ほどでした
自分で捨てるよりはマシなくらいです
後に残された、捨て難い人形やら大黒様やら
文久何年とかいう木箱から出てきた、たくさんの塗りのお椀たち
家政婦さんが何とか貰い手を探してくれるそうです
自分も結構持って帰りました
他にも小さな家具は知り合いに貰われて
結構良い家具がたくさんあるので
あまりに古すぎて処分するしかない物
電化製品で使える物も貰い手を探して
本当に処分するしかない食器たち
もう少しだけ残ってます
大量の座布団も捨てます
ここに写ってるのの5倍はあります
今回はここまで。
家の売却と、墓じまいも話しが進んでます
ついに先が見えてきた気がします
3月20日 グラバー園とオランダ坂 そして東京へ
今日は長崎最終日。
午後の飛行機なので、午前中時間があります。
今回グラバー園は夫はまだ行ってなかったので、一緒に行きました。
山の麓の斜行エレベーターに乗ってみます。
長崎の地元の人達の大事なエレベーターになってるようでした。
猫がいた〜
綺麗な猫ちゃん。
上の入り口から入りました。
よく晴れて綺麗。
夫も前に一度来ているので、結構さーっと見て回りました。
グラバー亭
今日も自由亭でお茶しました。
素敵なうつわ。
裏を見たら波佐見焼でした。
帰りにオランダ坂通ってみます。
すんごい急坂
これで、長崎市内、行きたい所は見尽くした気がする。
雲仙とか島原とかは別にして。
帰りの飛行機。
どうやら飛行ルートが変わったのかな。
海から入るのではなく、街の上から入ります。
東京タワーも間近でした。
こんなに都市の上空飛んで大丈夫なのかしら
というわけで、長崎旅行記、やっと書き終わった。もう東京に帰って一ヶ月も経つので、長崎はもう、遠いですが。
さあ、今度はどこに行こうかな。
海外はまだ先かな。
3月19日 レンタカーで波佐見焼の里へ
今日はホテルを移動して、荷物を新しいホテルに預かってもらってからレンタカー屋さんへ。
今日1日ドライブ共にするのはこの車。
我が家の車も赤い車なので、見つけやすくて嬉しい。
ドライブで見る長崎。
入り組んだ湾だったり、湖のように見えても海だったり。
複雑な地形です。
焼き物の里へ向かっていく途中、千枚田があるらしいので寄り道。
道なき道を行く感じ。
狭い狭い山道で、迷いました。
どうにか目的地に到着。
だーれもいません。
茶畑もあり、のどかな風景が広がっています。
波佐見焼の里に着きました。窯元さんがたくさんあつまってます。
ここいらは結構賑わっていました。
陶器市も出てました。
結構時間をかけて、焼き物を吟味してから、昼食のため、場所を移動。
清旬の郷というレストランで贅沢プレート食べました。
またまた場所移動して、焼き物公園というところへ。
ここが、意外と面白かった。
家族連れもたくさん来てました。
色んなタイプ、色んな国、色んな時代の焼き物の窯が、再現されてます。
たっぷり時間をかけて見て回ってから、くらわん舘へ。
買うのを我慢しようと思っていたのに、ここでしっかり買い物しちまったー。
焼き物の里に来ているのに、何も買わないなんて、無理だったー。
お買い物の後はさらにドライブ続けて、西海橋に向かいました。
西海橋の下は遊歩道になっていて、下が覗けるようになってました。
ここもうず潮が出来てます。
遠くに見えるは、昔の無線塔
この後は真っ直ぐ長崎市に向かって帰りました。
夕食は長崎駅の中に入ってる居酒屋さんで。
しっかり、最初からご飯食べました。
長崎らしいサラダ。したにちゃんぽんの麺が。
ちなみに、波佐見で買ったものはこれです。
モダンで北欧の食器のような佇まい。
殆どが、一真窯さんのもの。
店の人によれば、一番人気だとか。
全て、我が家で大活躍しております。
3月18日 軍艦島と稲佐山からの夜景
今日は軍艦島に行きます。
本当は上陸ツアーに行きたかったけど、予約が取れなくて、周りを巡るだけのツアーでも良いかな、と思ってましたが、当日になって予約がとれました。キャンセルが出たのか、当日枠があるのかは分かりませんが、とにかく取れて良かったー♪
歩いて長崎港に来ました。
観光船の向こう側に、今日乗る軍艦島上陸ツアーの船がいます。
波の高さ50cm以上だと上陸は出来ません。よく晴れてますが、今日は波の高さ現在49cm。
もしかしたら駄目かもという中、出発します。
伊王島大橋をくぐり抜けると外海。
船の中で私たちは左側に座りましたが、船中観光案内は右側が主になるので、右に席が取れるなら取ったほうが良いです。
まぁ、それほどの違いはないですけどね。
軍艦島がみえてきました。
この時点で波の高さが、ちょうど50cm
何とか今日は上陸出来るそうです。
そのアナウンスがあると、船内は歓喜のやったーという声が上がりました。
島の中は3班に分かれて3か所の見学場所にそれぞれ移動して、順番に見学します。
ものすごいインパクトがあります
写真や、画像で見てるのとは迫力が違いました。
なんか、怖い。
ここが私達の入った班の最初の見学場所。
坑道の入り口やら、お風呂場があったらしいです。
次の見学場所に着きました。
ここには、日本最初の高層鉄筋アパートが立ち並んでいます。
もう、何年もまえに崩れ落ちるだろうと言われていたのが、まだ何とか建っているみたい。
3箇所目は上陸した場所です。
お天気が良かったので、くっきりとして、廃墟との対比がすごい。
トンビかな。
たくさん飛んでました。
50年前までは、沢山の人の暮らしがあったのが、あっという間にこうなってしまうんですね。
今度来た時は違う姿になってるんだろうな。
上陸ツアーが終わり、船で軍艦島の周りを巡ってくれます。
軍艦島の由来は戦艦土佐に似てるからとか。
本当の名前は端島
小さな岩の島だったのが、海底鉱山を掘るために、どんどん大きくして、この姿になったらしいです。
船は端まで行ってから往復
これで軍艦島ツアー終わり。
私たちの船が離れる頃にはもう次の船が来てます。
帰りの航路には又つぎの船がいました。
さよなら軍艦島。
今回の長崎の旅の中でも、1番の感激ポイントでした。
見れて良かったー!
長崎港について、出島ワーフのなかのお店でカキフライたべました。
その後は歩いて新地中華街へ。
小さな中華街はサッと通り抜け、ブラブラしながらホテルに向かいます。
歩き疲れてカフェで一休み。
この後はしばらくホテルで休んでから稲佐山に向かいました。
稲佐山のロープウェイに乗って山頂に着いた途端、スロープカーに乗りませんか?ちょうど夕焼けが抜群に綺麗ですよ。
今なら半額です。
お土産もつきます。
と言われて深く考えるまもなくスロープカーってなものに乗らされました。
これがスロープカー。
何のことはない、山の中腹に戻された感じ。
せっかく山頂まで行ったのに。
車で行く人用の乗り物かもです。
夕焼けは綺麗でした。
お土産は無かった。
ま、いらんけどね。
稲佐山山頂は寒かった。
今日は、軍艦島ツアーと夜景鑑賞で、寒い1日でした。
完全に暗くなるまでしばらく寒さに耐えて。
今の世界三大夜景の一つだそうです。
知らんかった。
モナコ、上海、と長崎なんだって。
電波塔もライトアップされてて、綺麗でした。
帰りはタクシーで思案橋まで。
本当は昨日食べたかった、一口餃子のお店、雲龍亭にきました。
10人ほど並んでましたが、並ぶの嫌いだけど並んで食べました。
食べたのは、ニラの卵とじと一口餃子。
卵とじが美味しかった。
今日はそんなに歩かなかったけど、それでも一万歩は歩いたかな。今日も疲れました。
明日は、レンタカー借りて1日車で移動です。
3月17日 グラバー園と平和公園 龍馬の道から丸山へ
長崎に来て2日目。
今日の午前中も1人で長崎の街を歩きます。
まずはタクシーでグラバー園まで来ました。
山の下の方の入り口から入ると、長い動く歩道や、エスカレーターを何本も乗り継いで、山の上の方に連れて行かれます。
まぁ、行かなくても良いのですが、順路はそうなってます。
途中の景色が綺麗。
一番上まで来ました。
電車の駅から来ると斜行エレベーターでこちらから入るみたい。
ここから下って行きます。
オープンの8時に入ったのでほとんど人が居なかった。
これはウォーカー邸かな
小さな可愛いお家でした。
海側から見たウォーカー邸は、デッキとかあって、小ぢんまりとしてるけど良い感じのお家。
一番好きだったかな。
グラバーカフェのある場所の桜、結構咲いてました。
ここは開けていて、港が良く見えます。
次に出てくるのが、リンガー住宅
リンガー邸の周りはお花がいっぱい。
反対側には薔薇園みたいなものあって、薔薇の季節は良いでしょうね。
どの住宅も、目の前は海で、とても景色が良いです。でも、ここまで歩いてくるのは大変だったろうな。
昔の人は足が丈夫だなぁ。
リンガー邸の中の真っ赤なカーペットが印象的。
すごく可愛らしいドールハウスがありました。
リンガー邸のリンガーって、リンガーハットのリンガーなのか?知りません。
端っこのスチイル記念学校まで来ました。
今回は地方裁判所長官舎とオルト住宅は改装中でした。
何年もかけて改装するみたいなので、もう見る事は叶わないですね。
なのでもう次はグラバー邸です。
良く写真で見るグラバー邸だ。
グラバー邸の中には温室がありました。
この頃に温室なんて、珍しいですよね。
家の中に温室、羨ましい。
すりガラスが素敵
和と洋の合体したような作り。
こちらはキッチン。
他の部屋に比べて、何だか慎ましい、さみしい感じの台所。
こちらは馬小屋
こちらはお茶を煎るところらしいです。
これがお茶を煎る釜。
お茶って紅茶なのかな
イギリス人だから紅茶だろうけど
正面から見たグラバー邸。
傘の様な瓦屋根が特徴的ですね。
自由邸はオープンを待って一番乗りで入りました。
角の特等席 かな?
カステラと紅茶のセット
頂きました。
長崎来たなら、長崎カステラ食べなきゃね。
このカステラ、相当お腹いっぱいになります。
長崎にいる間、もう一度カステラ食べたい気持ちにはならなかったもの。
何故か下の方から出るには長崎伝統芸能館を通らされます。長崎くんちの音楽を聴きながら、グラバー園を出ます。
そこから出るとすぐ大浦天主堂。
ここは外から見ただけ。
グラバー園が620円なのにこちらは1000円もしたのでやめました。
ケチったくせにタクシーで今度は平和公園へ。
ここが原爆の爆心地。
この後原爆資料館、原爆祈念館にも行って、しっかりお参りしてきました。
ここ長崎で、父の本家の一家が亡くなって、分家の父が養子に入る事になったというのがあって、くる機会があれば、是非ともお参りしてこなきゃとおもってました。
来れてよかった。
この後は夫と合流
お昼は長崎ちゃんぽん食べました。皇上皇というお店。
なんか、普通。
若宮稲荷神社
この頃からもう、いやというほど、長崎の坂と階段を味わされました。
龍馬像はあちこちにあります。
ここは竜馬通りと呼ばれてるところ
とにかく坂
坂と階段
周りは普通の家がひしめき合って建っている。
どうやって資材を運んでここに建てれるんだ?
宅急便屋さん地獄だろうなぁ
足に豆を作りながらも、やっと亀山社中につきました。
ここもすぐ横には普通の住宅がひしめき合って建ってます。
火事が出たら、大変だろうなぁ。
龍馬のブーツ像。
山の上だから、景色いいなぁ。
ひーこらいいながら、何とか山を下りました。
もう足はボロボロです。
ここが何処かはわからないけど、眼鏡橋がありました。
ガイドブックで見たぞ。
何とか休憩したくてカフェを探したけど、本当に全然見つからなかった。
相当歩き回って、やっと入った素敵なモダンなカフェ。
青山辺りにありそうな雰囲気。
ここで一休み。
店名は自信がないけど、多分アティックカフェ。
何故か店員さんが気を利かせて2人分スプーンがあったけど、もちろん1人で全部いただきました。
元気が出たので又歩きます。
丸山町の交番、素敵。
龍馬が通った花月。
亀山社中から遠いよ、結構。
今は卓袱料理が予約で食べれるらしいけど、かなりお高いし、そんなにたくさん食べれないので、外から見るのみ。
又階段
中の茶屋に向かってます。
ここは中の茶屋の前のお庭。
雨が降ってきて、しっとりとした良い感じ
中の茶屋の入り口。
中から見たさっきのお庭
ここから夕ご飯を食べるところを探して丸山町のアーケード街をウロウロ
そしたら雨の中中にいれてーと言わんばかりの猫ちゃんたちが
ひたすら待ってる姿がいじらしい
吉宗というところで、蒸し寿司と、茶碗蒸しの晩ごはん。
今日は24000歩も歩いてしまった。
家にいると2000歩くらいしか歩かないのに、やはり旅に出ると歩きますね。
まだ歩ける事に感謝